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無口な人の言葉は、貴重で重い。


ウケるちゃんポスター 子ども 朝日

再会。

本物の反対は偽物?リアルが本物?バーチャルは偽物?アナログが本物?デジタルは偽物?高価なものが本物?安価なものは偽物?下手な絵は偽物?大先生に認められたら本物?賞をもらったら本物?

自分が父親という立場となったとき、どういうわけか、親に謝りたくなった。10年ぶりくらいに再会した父にその時に伝えられた「子どもには、本物を見せてやれ。」という言葉をずっと考えていた。本心、本気、本質、本当…。



ほぼない。

夕日を見て「きれい!」と感動。食事をして「おいしい!」と感動。見たり、聞いたりした話に「すごい!」と感動。目の前で起こっている物事に「ヤバイ!」と感動。本物を見たときには何かしらそんな言葉が出るのかもしれない。でも、そんなレベルではない。実は、僕は自分でつくったもの、自分が請け負った仕事、自分で生み出したものに(すべてではないけれど)、自分自身が日々感動し興奮し、ドキドキし、汗をかいている。ポスターが刷り上がった時、滑り台が出来上がった時、絵本が仕上がった時もそう、目の前にリアルにある自信作を手にした時の感動はヤバイどころの騒ぎではない。ドキドキが、止まらない。言葉は出ない。

それだからか、仕事以外の普段の生活において、自分の中での感動と言えることは、ほぼない。五感のスイッチが限りなくOFFに近いからか、スマホで見るものテレビで見るものに感動することも、ほぼない。というか今は趣味:子育てなのでそんな時間は、ほぼない。。ただ、家では「話を聞いていない!」「全然覚えていない!」とおこられることは、多々ある。。



情熱と愛。

デザインする上で細部にこだわり、時間を費やすことは、もちろん大事。いろんなものを見て、感じるのもたぶん大事。ただ、真っ先に、我先に、つくろうつくろうとして、とりつくろうということになってはいけない。デザイナーのエゴで押し付けたデザインは続かない。いつか無理がくる。格好ばかり、見た目ばかりを取り繕ってもだめということ。デザインは相手半分。そして、そこに「意義(固有の価値)・意味(含み隠されている内容)・意思(思い・考え)・意図(ねらい)」がどれだけ乗っかっているかが大事なんじゃないかなと思う。

本物、それは、情熱と愛を込めてつくられた人の記憶に残る、心に突き刺さる、モノ、コト、ヒト。「子どもには、本物を見せてやれ。」それは、モノ、コト、ヒトと本気で向き合い、本質を捉え、しっかりと生きた証を見せ、生きていることを実感させてやれということなんかな? と思ったり、思わなかったり…。


だるまウケるちゃん 世界平和



2020.10

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